【0】もってぃ〜筆者の紹介〜

この記事ではBlog「ハトの休日」

の筆者である「もってぃ」がどんな人間なのか

紹介するページです!!

生まれた頃、幼少期

小中高の私

そして、Blogを始めた大学時代

まぁ色々書いていきます!

まぁ他の人を散々紹介してますので

自分のこともしっかり書きます!!

(長いで笑)

  

 

〜筆者の紹介〜

●2017年夏 石川、なぎさドライブウェイにて

 

[誕生から5歳まで]

1996年大阪府は大阪市で生まれた。

幼少期は主に大阪市はあびこの辺りで

母と父と暮らす。

よくあったのは、両親が共働きなもので

幼稚園の送迎バスに乗ってても

誰も迎えがいないということがよくあったので

幼稚園にそのまま戻り

同級生と遊ぶわけでねく

職員室のパソコンで遊んでいたらしい。

子供の頃から電車が好き

3才の時には大阪市営地下鉄を

無賃で乗り回しまくった末

南港のATCで警察に保護されるという

騒ぎを起こしちゃっている

以来、大阪府警から要注意の子供として

睨まれることに。。

現在では高架化されたが

まだ地上駅だった頃

JR長居駅の踏切に立ち入って

周りにいた人に助けられると

いったことも...

それだけ買い物行っても

勝手にどこか行ってしまうものだから

さぞかし大変だったと思う。

寂しい思いはしていたので

ある意味反抗期だったのかもしれない。

 

[5歳から9歳まで〜パフェ〜] 

父が金に不器用な人間だったことから

両親は別れ

母に引き取られることに

幼稚園は年長さんの時に

母の実家のある豊中で

祖父母とともに暮らしていくことに

この頃から

祖母の勧めもあり

習い事を始めた。

字が汚かったのか

綺麗に書いて欲しい願いから

近くの書道教室に通い始めた。

展覧会にも出品して

教室を畳まれる小学4年生までに

表彰を受け

トロフィーや盾を貰ったこともある。

この経験がなければ、

今頃自分の字はどうなっていたか

わからないが、末恐ろしい...

そして同時期に水泳も始めた

まだ小さい頃は

水に顔つけるのが嫌いで

幼稚園のプールの時間で

コースロープを横切るために

潜るのではなく

それを持ち上げて

顔をつけないという荒技も

それぐらい嫌いだったが。

始めはゴーグルを

つけられなかったことから

水嫌いは治り

週三回も通ってメキメキ実力を

つけてきたこと

さらには長期休暇の短期教室

に通いまくっていたので

コーチ陣には

お水が友達だね

と言われるように

スクールの水泳大会にも

何度か出場し

背泳ぎで金メダルを取った。

ただクロールでは取れなかった

致命的に苦手だった。。

決して水泳選手を目指していた

わけではなかったが、

何度かヘッドコーチに誘われたこともある

ただ当時から自分の時間を大事にしたかったのか

断りを入れたようだ。

とはいえ、同世代に背泳ぎの

早い男子がいなかったため、

選手コースの水泳大会に

駆り出された実績を持つ。

高校卒業まで、12年も

スクールに在籍していた。

 

[9歳から12歳まで〜キム〜] 

小学校に入り、賢くもバカでもない

人間だったが、

とにかく宿題をしない問題児だった。

何度叱られたか 

ただ、3年生に上がり

新米の男の先生が

担任で若いこともあり怖すぎたのか

一回思いっきり怒られて

それからは宿題をちゃんとするようになった。

「たんろん」謎の単語を発し

パーフェー軍団という

謎のグループが完成された。

自身の人生の中でも

唯一ヒエラルキーが頂点だった笑

しかし、実家を離れ

母と二人で暮らすことになったため 

転校し、千中近くの

小学校に入り

環境が一変。

最初は友達づくりが大変だたが

同じ団地の子と仲良くなった。

そこで流行っていたのは

ドッジボールの派生版

「てんか」

の存在だ。ただ、なぜか

このスポーツが原因で

やたらトラブルが発生し

先生から「てんか禁止令」が出た。

それから流行ったのが

サッカーである。

20分休憩、お昼休み

いつも校庭に男子みんな

飛び出していた。

私はいつもキーパー

体当たりで敵から飛んでくる

ボールからゴールを守った。

放課後も遊んだ。

しかし、遊んだ後は

当時流行っていた

モンハンをみんなしていたが

私は興味なかったのか

何か人と違う

趣味・趣向を持っているな

と感じるようになったのも

この頃である。

 

[中学の頃〜おキム〜]

中学に進学して、大きく変わる

まず水泳部がなかったことだ。

あれば入部していただろうが

ないものだから

違うスポーツを始める

モチベーションもなく

帰宅部ライフを楽しんでいた。

 

●泳いだ後に黄昏るもってぃ。

●スエちゃんと会議中。

 

そして、 

スエちゃんとの出会いだ。

彼とは3年間同じクラスであったが、

彼とは趣味が真逆

私がアウトドアなら

彼はインドア

いつも私のくだらないことを

笑ってくれる。

2年生になると

彼の所属していた

パソコン部に入り

色々製作した。

そして彼から「洞窟物語」

という有名なフリーゲーム

を教えてもらい

一緒にタイムアタックで

競ったりよく遊んだりした。

恩師と言える先生の下

いろんなことをした。

体育祭、合唱コン、球技大会

全て制覇したり

教室で一緒に受けてない

同級生を笑わすために

みんなで会いに行ったり、

終業式の後に

教室の大掃除を手伝いに行ったり

卒業までの2年間

とても楽しかった。

今の芸視庁の集まりが完成し、

よく校舎で鬼ごっこした

よく怒られた。

当時から何か企画して

実行するという能力があり、

鬼ごっこは鬼ごっこでも

点数化してスポーツにしたり、

逃走中まがいなことをしたり

リーダーとして

いろんな遊び・イタズラをした。笑

塾に一応通っていた。

Mr.ビーンみたいな

おっちゃんに英数教わっていたが、

大手の塾に通うほど

進学校に進む気もなかったので

自分の学力で確実に入れる

公立高校に進学した。

それまでにも

有名な私学や

なぜか高専も受けたけどね

ただ仮にレベル落として

工業高校に進んでいたら

今頃、このBlogはなかったと思う。

 


 

2年生の時に

母が結婚した。

ある日、お付き合いしている

男性を紹介され

数ヶ月たち、エコーを見せられた。

思春期入りかけ、

正直、刺激が強すぎたな...

複雑な思春期だった。

当時は腑に落ちない自分がいた。

そして今の父とは

仲良くも、不仲でもない関係だ。

 

[高校の頃〜ハト〜] 

普通科に進学して、

なぜか自分を思いっきり

変えたい衝動に駆られて

学級委員長に立候補して

実際なった。

というのも体育委員になって

前で体操するのが

極端に嫌だったというのも

あったが笑

顔がむすっとしていたのか

当時のクラスメイトの女子には

気難しい人

っていうイメージがあったとか

喋ってひょうきん

だったことから

すぐクラスメイトの女子と仲良くなれた笑

そしてその中の一人に

「ハト!」と言われ始めてから

あだ名がそれになってしまった。

なんで?ってその子に聞くと

なんとなく。

と返された。

キャンプで顔に火傷して

変なリアクションしてしまったり、

文化祭の準備中に

数学の問題集をして

暇を潰すなどクラスの

浮いた存在になっちゃってた。

この時は正直ものすごい勉強量で

相変わらず帰宅部だったこともあり、

家での時間の大半を

勉強に使っていた。

でも国語は勉強しなかった。

 

●まぁよう机に向かっていたんですよ。笑



 

 そのせいか成績が一番いいときは

3位/360人だった。笑

2年に上がって

委員長を続けるかと思いきや、

一旦離れることに

自由人がより自由になっちゃった。

(なんで離れたんやろう...)

文化祭では

プーさんのハニーハント

をモデルにした出し物を

するため毎日放課後のこり

製作に明け暮れた。

劇したり食べ物出すより

よっぽど文化祭だった。

おでんくんと

よくすき家に食べに言ったのも

この頃。勉強の話とか

団地の奥さん

みたいな会話を永遠してた。

 



修学旅行では、台湾に行ったが 

メインはマリオカートであった。

「俺、強いで!」

と言ってきた輩を

全員倒し、ほぼ全勝してしまった。

小5の時に友人に

直線ドリフトの技術を

教わりそれをセミプロレベルまで

引き上げた結果である。

だーやまくんと

同じ部屋だったが、

オセロで負けた方が

恋バナ

というルールで

4つ角全て取って

勝っちゃった。

3年生で再び、委員長に

当時の相方(女子)は

今や、唯一クラスメイト

で連絡する方となっちゃっている。

文化祭では

「ジャスミンティーだ!!」

と叫んじゃって受けを取った。

これでも時代劇なのか?笑

2年の途中まで

成績上位の常連だったが

途中からモチベーションをなくし、

ズルズル降下

(まぁ勉強してなかったからね。)

現役では受からず、

駿台予備校で

浪人中の勉強をした。

大学で興味ある分野は

機械系・工学系・化学系

だったが、最終的に化学を選んだ。

そして、もう大阪はいいや

という思いもあったので

違う場所で頑張ることに

 

[大学時代〜もってぃ〜]

島根県は松江

何もないイメージだったが、

必要なものが集まっているので

便利なところではある。

そして私は日記を

つけるという

目標を実現させるために

Blogという形で

この「ハトの休日」を

始めた。

 

●天保山に登山途中(この後、下りますww)

 

1年生の時に

第二外国語として

中国語を学び、

興味を持ったことから、

夏休みに短期で

中国語を勉強するために

北京大学に入った。

そこの中級クラスは

初めて4ヶ月の私には

難しすぎて

毎日図書館・ホテルで

辞書・テキストを持って

夜遅くまで

永遠勉強に明け暮れた

周りに学年の少し上の学生が

文化研修でどこか遊びに行く中、

自分は部屋にこもって

一生懸命勉強した。

その甲斐あって

修了証をいただけた。

帰国し燃え尽きちゃったのか

そのあとに始まった授業は

休みがちに、

勉強に対する

モチベーションも

どんどん下がっていった。

ダメ人間である。

 

●よく、大学生でいられるな...笑(@和歌山)

 

●ミスターが撮ってくれたお気に入りの写真。


 

この頃には 

学科の仲良いメンツ

「けみ」が完成した。

そして学生寮に住んでいたので

そのメンバーでもよく遊んだ。

ハチの駆除を自らしたり

スイカ割りを駐車場でしたり

雪合戦で顔に思っ切り当てられたり

ふなっしーボールを紛失したり

マリオカートでオールしたり、

タコパ。フォンデュ。餃子。

まぁなんかたくさんした。笑

親からバイトしろと

うるさかったので、

夏休みにムキになって

MT(マニュアル)で免許取ったことを

活かすため、

人と違うバイトをするため、

駅前のオリックスレンタカーで

働き始めることに

仕事のできる3人組が

居座っていたので

業務は洗車と回送・配車etc.

がメイン。

だが、当時の店長が失踪したことを

きっかけに役割が大きく変わり

社員業務以外にことを

大半しちゃうようになっちゃった。

社会人体験には十分すぎる

スタッフが少なかったこともあり、

2018年の春休みは働きまくった。

そして店長により

「ポッター」になってもうた。

それから不定期ながら

勤務に入り、レイニーさんとともに

主力として

存在感を発揮するようになった。

 

●広島、呉にて。byビストロ

 

●インプレッサと私。(3000kmドライブにて)

 

2年生になって 

車で出かけることが大幅に増えた。

雪の大山。

小娘たちを拾いに鳥取に行ったり

その流れで、広島に遊びに行ったり

夏に一人で3000km運転したり

大阪から来た友達を案内したり

むしろ大阪に車で帰ったり、 

看板娘を車で連れ回したり

四国を1日で一周したり、

弾丸で富士急行ったりし、

大変運転が上手になった。

それゆえ

友達と出かけたら決まって

ドライバー役

結構疲れたものだ。

とはいえ、免許取った子の

運転の練習に付き合ったり

車借りて遠出したり

今のバイト先に入って

プラスになったことの方が

かなり多い。

帰省した時に、

あまりにも家族に

会う時間が短すぎるので

おでんには

大阪に遊びに来ている

といわれる始末。

サークル活動にも興味を持っていた。

初めはバドミントンをしようと

サークルに入ったが、

バイトと曜日が丸かぶり

次第に行かなくなり、すぐやめた。

ボランティアサークルとして

隠岐の島の海岸清掃を

二度と行った。

意外とゴミが多い。

そしてそのほとんどは

ハングル文字が書かれている。

長く住んでいる

島民の人はよく言う

ゴミが増えた

考えさせられることが

多かった。

 

●隠岐の島にもボランティアで訪れましたな。

●出雲大社には何度も訪れましたね。


3年になり環境がかなり変わった。 

以前ほど「けみ」

というグループ性はなくなり

一人は大学やめたり、

一人は公務員を早くから目指したり、

留年になる人も出てきた。

当の本人も留年になった。

就職活動をしようと

地元に帰っていた時に

先生から電話があった。

4年生には進級できない。

理由は基礎科目が足りていなかったこと

専門科目は問題なく

取り続けていただけに

私の勘違いが生んだ結果である。

ただ私がバカなだけであったが、

後ろめたさを持っても

仕方ないと開き直って

2019年春からは

変化を求め続けると決めた。

BlogはAmebaさんから

Hatenaさんに移籍し、

「けみ」創立者でありながら

そこを抜け出した。

その中で

前々から語っていた

人数が減ったきたら

自分は永遠勉強するようになると思う。

再び、勉強という

モチベーションを

持つようになった。

これから大卒で

社会に出るにあたって

やはり自分の専門知識に対して

知識が浅いと恥ずかしいと

思うようになった。

そして高2から途切れてしまった。

勉強する「もってぃ」を

取り戻すため、

6年を取り戻すとはいかなくとも

新しいもってぃを作ろうとしている。

まずは大人になる。

 

2019年〜イメチェン〜

 

●勤務中の筆者(盗撮されました)

 

 

●アホやけど、頑張りますで。

 

 

 まぁ数年に一度

 

このページは更新しますな。

 

  

●まぁもってぃってこんな奴やで。笑

 

 

 

終わり。

 

もってぃ

College Student(majoring Chemistry)
Bloger ”ハトの休日”
Osaka→Matsue

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